ジャポニカ自由帳。 -6ページ目

ゼイタク

お寿司屋さんに行くと、あがりに書いてある例のアレ。
魚の漢字がズラーっと書いてある。
鮭、鮪、鯖、鰯、鯨、鱈、鱒、鰻、などなど…。

魚へんと言うものは実にカッコ良い。
イカす。
しかしイカは烏賊なんだな。
魚へんじゃねんだな。

魚の中で一番好きなのは、
マグロだ。

貝の中で一番好きなのは、
アワビだ。

海藻もワカメとか好きだ。

マグロとアワビとワカメを一度に食べよう思ったら、
それはもうアレしかない。
抱くしかない。

タブラだー!


繊細さと力強さを併せ持ったタブラと
いつまでも余韻が残る、あのシタールの音色。
あれはどこだったんだろう。
インドかどこかの
田畑が広がる本当に田舎の、

場所は特定できないのだけれど
その音はずっと向こうから聞こえてくるみたいだ。

そっと、目を開けてみる。

するとどうだ!
ここは渋谷のど真ん中のカフェで
ぼくらの回りには大勢の人!


タブラダーの初ライヴ@渋谷ビジョナリーアーツ。
出演:
UAとの競演等されているシタール、吉田大吉さん。
ASA-CHAN&巡礼の超絶タブラ、U-ZHAANさん。
MG-Kゼミ代表の悶絶タブラ、te-lidahiさん。
その他5名(名前知らずですみません)
の素晴らしい演奏!

でしたっ!
ありがとうございました。

『ストロベリーショートケイクス』



魚喃キリコの漫画が映画化された。

そこに描かれているのは
たしかに生々しくて
そして痛々しい愛。

でも
登場する主人公たちにとって
それはなにも特別なものではなく
ほんの日常。

でも
彼女たちは最後に気づくのだ。
「他者と関わること
それは自体は常に奇跡なのだ、」
ということに。

『ストロベリーショートケイクス』。











Reference:

http://picnic.to/~hdk/manga/nananan/nananan.htm

かけら。


昨日六本木のABCで
とてもなつかしい絵本と再会した。
小さい頃によく母親によんできかせてもらったやつ。

本にてをのばして
ページを一枚ずつめくっていく度に
鮮明じゃなくて、ぼんやりとした、でもとても懐かしい記憶が蘇ってくる。
なんだか
ふだん気がつかないだけで
街中いたるところに記憶のかけらって転がってる!
なんて、うれしくなって。


「お月さまとあそびたいな」
モニカは、お月さまのほうへてをのばしました
てをのばしても、お月さまにはとどきません
「パパ、お月さまとって!」
          (エリック・カール作  『パパ、お月さまとって!』から)



そういえば、おとついは満月だった。

秋、言葉は感覚。

半袖から
長袖に
衣替えするタイミングを見計らっているとき
夏が終わるさみしさと
秋の訪れへのわくわくが
交差する時。

いつもより豪華な食事を
と思っていたのに
タイミングを逃した給料日。
帰りにスーパーで買った
一房750円の葡萄。
ささやかな、贅沢。

夜、布団から首だけ出してぬくぬくしていて
なんだか暑くなって両腕を外に出したとき
少しヒンヤリする。
そのときはじめて秋を実感する。

おやすみなさい。

映画『親切なクムジャさん』

人は、何か大事なものを失うと必死で取り戻そうとするものだ。
しかし、何かの理由でどうしてもそれができないとき、
諦めるか、気が狂ってしまうか、どちらかだ。

しかし、彼女の場合はどういうわけか、親切になったのである。
それは、単に復讐のための、仮の親切なのか
本当の、素としての親切なのかは分からない。

分からないが、分からないなりに考えたすえ
ぼくは、後者なのだと思うことにした。

なぜなら、この映画のクライマックスは彼女のその親切さゆえに
とてつもなく残酷なものになってしまうのだから。

『親切なクムジャさん(氏)』

bitter sweet autumn

初めて彼女の部屋に行ったときのこと。

緊張とうれしさが入り交じった心持ち。
テレビのバラエティ番組でタレントがワーワーと騒いでいるのが見えたり聞こえたりするが
それは遠くの喧噪のよう。
テーブルに置かれた二つのマグカップからは温かな湯気がゆっくりと立ち上っている。
一口飲む。
コナコーヒーのほろ苦さと甘い匂い。
それらが一瞬、ぼくの心持ちと解け合い、そうしてなぜだかぼくは、この秋という季節が好きになる。







本である。


人生の教訓は
人との出会いから生まれる。
だが
だいたいの場合において
その誕生は出会いからずっと後のことだ。
気づかされる
その瞬間にそばに在るのは
だいたいの場合において

本である。

poor

何時だろうと朝は眠い。
ギリギリまで寝て飯も食わずに
9時5分前の地下鉄に飛び乗る。

そんな毎日にようやく終止符を打つことができた。
編集室に缶詰で寝られない、というのを抜きにしたら、昼夜うまい飯が食えるわけだ。
相変わらず鋭い目つきの上司はその目をギンギンに血走らせてぼくを叱ってくるが。
そのお陰で
たとえば、なにかが右の耳から入ってきたら左の耳を塞ぐ、これがようやくできるようになってきた。
でも
どうやったってできないことがあって
それは、毎月口座に入ってくるヤツが出て行くところを塞ぐこと、である。

poor

share

ココではすべてが共有される。
パソコンも、ビデオカメラも、
もちろん、普段食べるちょっとしたお菓子も、だ。
いっそのこと、共有化の名において全てが許される社会になってしまえばいい。
「自己」から「自他」満足へ。
また、そういう場で、youtubeのように時間軸というものがなくなってしまえば
もう完璧、超フラット!
さて、それじゃあ皆さん同じスタートラインに立ったところでヨーイどんっ。
おれはやっぱり一着を目指すよ。
共有できない一着を、ね。