ゴルゴ13の哲学
いわずと知れた完全無欠の男、ゴルゴ13。
就職活動そっちのけで夢中なんです。
最近読んだ章で、これっ!ってのを紹介するこのコーナー!
題して、「ごる哲!」。
ストーリー
ゴルゴと一人の女。バー、タクシー、飛行機と偶然の出会いが重なる。その飛行機が故障し、着陸のための車輪が出なくなってしまう。 女は結婚相手に全財産をフンダクラレル形で捨てられ、自暴自棄になっていた。 女はゴルゴに話かける。
「まるで他人ごとのようなお顔ですわね……
ご自分が乗っている飛行機が事故かもしれないというのに……」
「きみのことを…… おれも今そう思っていたところなんだ……」
「私は生きようが死のうが、どうでもいいんです……」
「それは、うそだな……」
「え!?」
「死ぬことでいまわしいと思っている世の中と別れ、
安らぎを得られるならば……
この考えは、生きていて楽しいことがあるならば生きていたいという欲望の裏返しだ……
きみのは、決して無感覚になっているのじゃあない……」
飛行機は胴体着陸に成功。二人はその晩ベッドを共にする。 次の日、ゴルゴは女と別れ、仕事に向かう。ある人物を狙撃するために。 仕事を終え、去ろうとしたとき、女が現れる。現場を見られてしまった。 ゴルゴは少し躊躇しつつも、引き金を引く…。
どう、この渋さ。
飯島夏樹氏
「あら、大きな虹」
妻が言った。
パンチボールのクレーターの中に、大きな大きなレインボウが、片足をどっしりと踏みこんでいた。
ハワイの美しいレインボウの土俵入り。
「南の島のレインボウって本当に大きいねえ」
サンドアイランドの右手の山並みに、オレンジ色の輝く夕日がすっぽりと、その大きなレインボウの中に包みこまれていた。
(飯島夏樹氏の日記「今日も生かされています」から)
プロフィール
飯島夏樹氏(いいじま・なつき)
東京都出身。
プロウインドサーファーとしてワールドカップなどで活躍。
02年がんを告知され、昨年夏、自らの闘病生活に着想を得た小説「天国で君に逢えたら」を出版、13万部のヒットとなった。
現地時間2月28日午後11時50分(日本時間1日午後6時50分)、
肝臓がんのため米ハワイ州ホノルルの自宅で死去。享年38歳。
先日、フジテレビで放送された彼を追ったドキュメンタリー番組を見た。リンクして、ネットで彼について調べていると、新潮社のサイトに、生前つけていた日記を発見。今回はそれらを見て読んだ感想を書きたい。というか、書かずにはいられなくなってる。
彼は発病後ターミナルケアに入り、日々「生きる」のではなく、「生かされている」と感じるようになる。家族や友人、自然、彼の周りにあるすべてのことがらによって「生かされている」。
そうやって、がんと戦うのではなく、あくまで共生していく、ということ。
「人間は誰もがいつかは死ぬのだから」、「それが運命なのだから」、と一見すべてを諦めてしまっているかのような彼の言葉は、実は、人間がごくあたり前に、本当の意味で、生きていくための知恵で溢れているようだった。
「死」は悲しいことだけではないんだよ。
出逢いがあれば、別れがある。
でも信じるものは、また天国で再会できる。
そして、その知恵は確実に彼の子供たちへと受け継がれている。それを象徴するかのように、ハワイで行われた葬儀での子供たちは皆、笑顔だった。
大きな大きなレインボウを見つけた彼は、今それを上り始めたばかりだ。
下り終えたとき、それはきっと彼が永遠になるときだ。
彼は、病気によって、「生かされ」そして「活かされて」いた。
Happy B-Day!
朝、寝ているのと、起きているのとのハザマを彷徨っていた時、ピンポンとチャイムが鳴って、出てみると、スニーカーが届いていて、もう一人のぼくが「最高でしょう?」と笑いかけてきたので、すかさず「最高だね!」と笑い返した。あっはっは。
そう、今日はぼくの誕生日。
雑誌『スペクテイター』
最近読んだ雑誌、『スペクテイター』について。
発行がエディトリアル・デパートメント、発売が幻冬舎。
たぶん、1年に4回、季節ごとに発行されている。
で、今回の春版(たぶん)の特集は、アラスカだ!!
あ、もうやばい、時間ないんで、載っていたシビレル文章を紹介して、行くわ。
アラスカ…
最後の開拓地
そこには僕らの知らない文明や
新たな旅への予感が 待ち受けているに違いない
さまざまな欲望と雑踏のうずまく街を離れ
新しい意識を持った仲間を乗せて 未来へ勇敢に旅立った
これは、宇宙船スペクテイター号の
脅威にみちた物語である
どうだ!!
…しびれたろ?
Negative2Positive
今日は3月10日。夜9時からテレビ東京で映画「ドランクモンキー・酔拳・特別編」が放送される。
主演は、ジャッキー・チェン。
酔拳は酔えば酔うほど、強くなる。
ぼくもそうだ。いろんな、自信とかなんたらを身にまとって、どんどん強くなる。
でも、前文の柳田が言う「究極的なやさしさ」とは、それらの身にまとったものを一回すべて脱ぎ去った時に顔を出すものではないか、とぼくは思う。
君がやさしさと呼ぶぼくの力は
ぼくが一人ぼっちで寂しくなっているときに
強くなっていくんだ
これは、ある曲の詩。誰のかは忘れた。
文藝春秋特別版
を読んだ。なんだか、不思議な気分。普段見慣れている風景(日本語、というもの)から新たな一面を発見した、そういう感じ。この特別版の内容は日本語または言葉について。95人がそれぞれ自論を展開している。今回はその中で、感銘を受けたものを紹介したい。
「言葉が息づく時」by柳田邦男
いわずと知れたノンフィクション作家、柳田邦男。柳田は、今回ある俳人に焦点を絞る。
その名は、村越化石。
茶の花を心に灯し帰郷せり
よき里によき人ら住み茶が咲けり
村越氏は、元ハンセン病患者である。戦争の時代に隔離施設に入れられ、肉親とさえ交流ができず、故郷に戻ることも許されなかった。戦後、治療法が開発され、病気こそ治ったが視力を失う。さらに、国が偏見を排除する対策に取り組まなかったがために、社会復帰をすることができなかった。だが、点字によって俳句を詠むことを続け、それを生きる支えとしてきた。上の句は、2002年、64年ぶりに故郷である静岡県岡部町に帰ることができたときに詠んだものである。柳田は、この句に人間の内面にある美しさを見る。
‘かつては自分を疎外し排除した町に帰ろうとするのに、その故郷に対して、茶畑に花の咲きそろった懐かしい風景のみを想い浮かべている。64年もの歳月が流れ、自分はもう老境に入っているけれど、心に焼きついた春の茶畑の風景には忘れようにも忘れられない愛しさがあるのだろう。…何と豊かな感性を持っていることか。”
加えて、柳田はサン・テグジュペリの『星の王子様』の一場面を取り上げる。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ
そして、こう付け加える。
「越氏は、心で故郷の風景を見、心で故郷の人々を見るからこそ、人間が生きるうえでいちばん大事なことは何なのか、人は独りでは生きられないのであれば、他者との関係はどうあるべきか、といった問題を見据えることができて、結果、他者に対する究極的な優しさを身につけることができたのではなかろうか」
よし、読もう。
そもそも、なんでこんなに必死なんだろう。他に楽しくて有意義なものはたくさんあるのに。ぼくの友人の友人は就職活動中に自殺したらしい。そのことを、バイトの先輩にいったら、「意味がない」の一言。あぁ、これが社会の冷たさってやつか、と思ったり。たまに友人と呑みにいっても会話の大半は「週活」だ!他に楽しくて有意義なものはたくさんあるのに!ぼくの場合はそんなに苦ではないが、「就活」に支配されている今の生活はウンザリだ。
そう感じたので、なんとか楽しくもっていく術はないものかと考え込んでいたある日、書店で見つけたのが、『文藝春秋 特別版』。テーマが、「言葉の力」。サブタイトル「生かそう日本語の底力」ドーン!本当、ドーンときた。ひさびさのテキサスヒットだ。
よし、では、今から読みます。だから次回は感想を。
PS
そろそろ誰がこのブログを見てくれい!マスターベーションで終わりたくないんだ!
地球を、どうしよう。
ぼくは、ここでいいたい。はたして、これをひとつの映画の、ひとつの物語として片付けていいものなのか、と。映画は、ぼくたちに、非現実的な空間を与えてくれる。ここに、ひとつの良さがある。ただ、同時に、それは現実というものについて、ぼくたちが考えるための「知」を与えてくれるものでもある。その影響力は多大だ。デイアフタートゥモローは、位置として、後者にあると思う。この映画を楽観的に受け取ることは、今生きている環境を無視することと等しいわけだ(当たり前だけど)。
ところで、つい最近まで地球が揺れていたらしい。原因は12月に発生したスマトラ島沖地震。オーストラリア国立大学(ANU)の調査でわかったことだ。続いて、1月9日のロイター通信によると、地球の縦揺れは発生直後、約20~30センチあり、その後、約1ミリにまで弱まったという。 ぼくは、この事実を知って、あらためて地球は生き物だということを実感した。だって、地球全体が揺れていたんだ!そして、それはたぶん、ぼくたちが思っている以上に弱い生き物なんだ!でも、その弱い存在が、少しだけ身震いをした時一番の影響を受けるのは、もっと弱い存在であるぼくたち人間なんだ。
まずは、「知る」ことから始めよう。